星街の招待

 第二の故郷である大阪を離れ、東京に来て1年が経った。
 1年を総括する節目の時くらい、思ったことを言葉にしておくかという気持ちになったので、明日からまた仕事だぞという連休最終日の深夜にブログを書いている。

 始めに、2019年が僕にとってどういう年だったか。一文にまとめると「孤独感と闘った一年」だったと思う。

 僕は建築系の非常に安定した、それなりに社会的地位もあるだろうという職についていたが、昨年1月にゲーム関係の会社に転職をした。学生として6年間、社会人としておよそ2年間を大阪で過ごし、それなりのものを失って東京に来たように思う。安定した職、長い時間をかけて築いてきたコミュニティ、安くて広い家、原付のある生活…細かいものまで挙げればきりが無い。
 じゃあなぜ転職したんだという話だが、前職に就いている時は常に焦燥感との闘いをしていたからだと思う。普通にしていれば黙っていても給料がそれなりに上がっていくし、余程のことがなければクビにもならない。でもこの仕事を一生続けていくのか?本当にこんなことを続けていて良いのか?そんな焦燥感を振り切るための転職であったと言っても間違いではない。

 事実、転職をして焦燥感とは無縁となった。しかし、そうなったらそうなったで、次は孤独感との闘いが待っていた。
 安定した職場で、友人も多い大阪に留まったほうが良かったんじゃないか。自分の選択は正しかったのか。この一年で得た体験が、将来への布石が、失ったものに対して本当に見合っているのか。
 レールから外れた人生を生きたい。そう願っている一方で、転職という少し異なるアクションをするだけで怯えてしまう。いい大学を出て、大手の企業に就職して、定年まで働いて、そんな僕の親世代が描いた人生が「良し」と刷り込まれてきたから。
 そういう人生こそが良いと心から思っているわけではない。*1 だが、それ以外の道が正しいという確証もない。仕事を変えて、住む場所を変えて、多くのものを失ったが、それ以上に得るものがあったのだと、証拠はなくても信じなければならない。
 そんな言いようのない孤独感が、隙あらば襲ってくるのだ。
 転職したこと自体は、間違っていなかったと確信しているが、神を心から信じていたところで、不安なものは不安だ。神を信仰している人が自分一人だったなら、その信仰は何の役に立つのか?そういう話だ。

 なんてネガティブな書き出しをしてしまったが、面白おかしく生きてはいる。
 実際、面白いことあった?と聞かれるといや別に…となってしまうが、2019年は心動かされるイベントが多かったとは思う。なので月毎に、あったこと感じたことをメモというか、日記というか、初めて体験したこととか思ったことを中心にザッと書き出してみようと思う。
 もし僕の友人で東京に来ることがあれば、一声かけて頂いて、お茶するでも食事するでも良いので、話を聞いてくれたら嬉しい。*2

■1月
 2018年の末、本当にギリギリまで前職の仕事を続けていた。
 職場の人間関係をちゃんと構築していたので、最後まで期待に応えたいと、有給をかなりの数余らせてしまったが、不思議と後悔はなかった。おかげで引っ越しは本当にバタバタとして、電気もねぇ、ネットもねぇ、カーテンもねぇ、そんな中で漫画喫茶と行ったり来たりをしながら1週間程度生活していた。
 電気は通るようになっても、生活に必要な道具がダンボールの山のどこにあるのかがわからない。カーテンのない窓から覗く蛮族の視線。新居が国道に近く、毎日のように救急車と消防車がサイレンを鳴らす。隙を見せれば金を毟り取ろうとするハゲタカのような不動産仲介業者。書類が足りないと、住民票の手続きを拒否する区役所職員。湯が出ないからと銭湯に行き、無名のシャンプーのせいでギシギシになった髪。そして東京の冷たい風が孤独感に拍車をかける。ベッドもまともに組み立てず、マットレスを床に直接置き、浮浪者のように眠った。
 平日は心労からか荷解きをする気など起きず、土日に少しずつ、住環境を整えていったのだが、早くこの家を自分の家にしないと、心身ともに摩耗しきってしまう、そんな焦りがあったのを覚えている。

■2月
 一月経つと、段々家が家らしくなってきた。
 まず最初に、大量の漫画だの何だのを収納するための本棚を4台購入した。送料が馬鹿にならないので、ニトリで軽トラを借りて自分で搬送をした。知らない街で車を運転し、引越し業者のように軍手をはめて本棚を搬入すると、まるでサバイバルをしているような気持ちになったのを覚えている。
 この頃よく見ていた、YouTubeのサバイバル動画のせいでそういう感覚になったのかもしれないが、無人島でやっているのか、都会のコンクリートジャングルでやっているのかの違いだけで、本質的にはやっていることが同じだなと思った記憶がある。
 キッチンの整備がかなり遅れてしまったことや、電気ケトルがなかなか発掘できなかったので、アルコールランプで湯を沸かしたり、マッシュルームの缶詰を温めたりと、本当にサバイバルじみたこともしていた。
 本棚も一度には組み立てられないので、パズルのようにダンボールを移動して、本棚を組み立て、荷解きをして、というのを毎週末じわじわと続けた。前職は勤め始める前から、きっと転職をするだろうと思っていたので、学生時代の下宿から引っ越した際、漫画や本の入った箱は一切開封をしていなかった。
 本棚を組み立てる度にダンボールが減っていく。ダンボールが減るにつれ、カーテンや家電が見つかる。ベッドを組み立てるスペースもできる。二年越しの荷解きをして、棚にものを納めていくごとに、必要家財を掘り出す度に、失われた人間性が戻ってくるように感じられた。

■3月
 仕事に慣れてきて、そのプレッシャーを感じ始めた頃だった。
 非常に奇遇なことだが、僕が配属になったチームに、僕と同郷、しかも中高が同じという先輩が2人もいた。そのせいもあってか、チームに馴染むのにそう時間はかからなかった。
 僕は取り立ててコミュニケーションが上手いわけではないと思うが、度々「まともにコミュニケーションが取れる人」という評価を貰うことがあった。はァ、そうですかねェ、そう言って当時はその真の意味を理解できていなかったが、年末近くにその意味を思い知ることになる。

 前職は家で仕事のことを考えるということなどあり得なかった。
 勉強することも特にないし(熱心に働こうと思えばできたが)、何より、定時の時間内でもかなり時間が余っていて、やることを常に探しているような状況だったのに対し、今の仕事は一日が何時間あっても足らない。勉強しなければいけないことも山のようにある。今までぬるま湯に浸かり続けてきて曲がってしまった性根を矯正する、そんなキツさが三月目にして出始めたのだ。
 この辛さはここから半年くらい続いたように思う。

■4月
 3ヶ月遅れで、ほぼ同期のチームメイトができた。
 チーム内最若手として、孤独に闘っている中、同期がやってくるのは本当に心強いなと思った記憶がある。とはいえ、彼は半年後退職してしまうことになるのだが…
 彼とは仕事以外でも仲良くしていたのだが、彼はメイド喫茶に行くのが好き*3だというので、親睦を深める意味合いも込めて連れて行って貰った。
 これが初めてのメイド喫茶だったが、行こうと思ったのは初めてではなかった。
 高校一年生のとき、初めて東京に来た。当時はまだクールジャパンといった言葉もなかったが、オタク文化が非オタクの人に認知され始めた頃だったように思う。そんな流れの中、男子校でオタクとしての最盛期を迎えていた頃、秋葉原に来たのだ。メイド喫茶に行こう、と行って店の前まで来たはいいものの、高校生にとっては恐ろしく高い値段設定に怖気づいてしまい、泣く泣く撤退したのを今でも思い出す。

 また、初めてe-sportsの大会を見に行った。
 League of Legendsというゲームで、僕はほぼやったことはないのだが、MOBAというジャンルの中では筆頭のゲームだ。ふむふむ、今のプレーはすごいですね…みたいな見方をしている、おそらくはプレイヤーなんだろうという人たちと、サッカーか野球でも見ているかのように黄色い声援を飛ばす人たちに二分されていて、不思議な空間だった。
 ゲーム業界を取り巻く環境はどんどん変わっていっていて、e-sportsの話題は避けては通れないだろう。今後はどんどんe-sportsが流行っていく…というように業界を動かそうとする意思は感じるし、大会を見に行ってその気を何となく感じはしたんだが、まだ厚い壁があるなと感じた。その壁が何なのか、適切な言葉にすることが今はできないが、ゲーム業界でやっていくなら、ゆくゆくはぶつかっていくであろう壁であるような気がしている。

■5月
 元号が令和になった。
 2019年のゴールデンウィークは長く、新環境に慣れるのに必死で、毎日が走るように過ぎ去っていく中、初めての長期休暇だった。必死になっていると忘れてしまうが、少し余裕ができると孤独感が襲ってくる。
 孤独感から目を逸したいときに決まって取るアクションというがあると思う。
 それは人によって違うだろうが、僕の場合はランニングや筋トレとか、映画を見ることがそれだった。頭に無理やり情報を入れることで、余計なことを考えないようにしたい、そんな気持ちから撮ってしまうアクションのような気がする。大阪にいた頃、このブログを書いていたのもそんな気持ちがあった気がするが、ランニングとかの方法が孤独感を抑え込むための手段なら、ブログに吐露するのは、アメリカのグループカウンセリングみたいな感じだろうか。
 というわけで、東京に来て初めて映画を見に行ったのである。大阪では原付で行ける範囲にめちゃくちゃ大きい映画館があったので本当に隔週くらいのペースで行っていたような気がするが、こっちに来て一度も来ていなかった。1月に僕を陥れたあの忌々しいバスに乗って行くことになるのだが、無事和解することができ、映画館まで僕を導いてくれた。

 あと、今までまともにやったことのなかった、テーブルトークRPGを会社でやった。
この頃から、定時後に時間がある時、ちょくちょくボードゲームで遊ぶようになった。
徐々に会社にいるときのアウェー感というものがなくなってきて、家庭があろうがなかろうが、家にいるよりも会社のほうが居心地良く感じる仕組みってこうなのかもしれないなと思った。

■6月
 やはり根が理系だからだろうか、エンジニアの人とは仲良くなりやすいように思う。*4
 前述のボードゲームをするのもエンジニアとだったし、一度目の大阪に続いて二度目となる、ゲームマーケットに会社のエンジニアの同僚と行った。大阪のゲームマーケットとは規模が桁違いで驚いた。
 4月に行ったLoLの大会と比較すると、スポーツのような熱狂的な盛り上がりこそあるわけではなかったが、それとは軸の異なる盛り上がりがあって、僕はどちらかというとこちらの盛り上がりにこそ未来があるように思った。

 また、この頃になると土日に同僚とモンハンをするようになった。*5
 大学以来のモンハンは、僕が最後に触れたものとはかなり変わっていて、敵を倒して素材を集めるという、やること自体は同じでも新鮮な体験があった。何より、通話しながらやるモンハンが、僕が重要だと感じるゲーム体験の一つだということを改めて実感した。

■7月
 入社して半年、ようやくそれなりの大きさの仕事を任せて貰えるようになった一発目が7月だった。
 本当にやったことないことだらけ、八方から飛んでくるわからん殺し、山のような後出しジャンケン、大学の卒論程とは言わないが、かなりハードな一月だった。僕が入社してから、法律が変わって残業の上限ができたのだが、その上限まで行ったのがこの月だった。
 今のチームでは、悪い文化はどんどん撤廃していきましょう!という動きが最近あるのだが、その悪い文化を体験する最後の一人が僕になることが多い。今思うと、人前で大声で怒鳴りつけるとか、人のエラーを糾弾するための会議とか、Twitterで流れてくるこういうやり方が生産性を下げる!みたいなものの見本市のようだったと思う。
 まぁ、僕がミスしたこと自体は疑いようのない事実なんですけどね…

■8月
 7月からの仕事が一段落した。
 仕事にはやはり波があるもので、忙しい時は昼食を摂る時間もないが、落ち着いている時は普通におやつのために外出したりもできる。この自由さは僕に非常に合っていて、必ず12時から13時の一時間で休憩を取ることが義務付けられていた前職よりも、遥かに働きやすいと感じる要因の一つだ。初めてThe Alleyのタピオカミルクティーを飲んだり、31にアイスを買いに行って、貰ったドライアイスで遊んでたら怒られたりした。
 基本的には緊迫しているアニメの、閑話休題回という感じだ。

 GP*6があったので初めて有給を取った。
 のだが、会社でのチャットのやり取りはスマホで見ることができ、私の残していった仕事がプチ炎上しているのを見てしまい、全然休んでいる気がしなかった。これからは有給取る前は落ち度の無いよう完璧な仕事をするか、この気の休まらない感じと付き合っていくかの二択になるわけだが、恐らく後者なのだろうなぁという気がしている。

 そして余裕が出てくると孤独感というのが襲ってくるもので、過去をよく振り返った気がする。7月に大きい仕事をした燃え尽き症候群だろうか、あのまま大阪に残って仕事を続けていたらどうなっただろうとか、そんな思いがよく頭を巡った。

 そもそも、前職は社会人として一番最初の仕事であったが、本当に大切なものを尽く見誤った就職をした。もうすぐ社会人歴に4年目になるが、未だにそのエラーが胸を刺すことがよくある。たくさんの間違いのうち、1つでも防げたなら、現状はもっと良いものになったのではないか。人は損失に対して過敏だ。
 孤独感等から目を逸らすためにやること、というのを先に述べたが、あまり美味しくないとわかっている店に入る、というのも僕の中にある気がする。
 本当は見たくないはずのものを見てしまう、といった経験があると思うが、それは予想通りの結果が得られることに対して快感を感じるからだとかで、それと同じような心理だと思っている。
 僕の中ではつけ麺*7が代表的で、孤独のグルメの「そうそう、こういうのでいいんだよ」の3段階くらい下、低い次元で提供されるものの予想が必中する、そんな安心感を本能的に求めているのかもしれない。
 関西では見かけなかったが、関東には日高屋という中華のチェーン店がそこかしこにあって、ここはこの体験を得るのに最適だと感じた。4月だか5月だかに一回入ってみてうーんと思った記憶が、バチッとハマったのだ。全体的にグレーっぽい炒飯、なんかでかい付け合せのザーサイ、大学の学食みたいな唐揚げ。決して不味くはないが取り立てて美味くもない、完全に予想を越えないものが出てくる安心感が、都内では至るところで提供されているのだ。

■9月
 この1年で、9月が最もいろんな初体験をした。
 全然関連性のない、単発の体験が多かったので箇条書きにする。

①巨大台風
 電車で通勤通学するのは高校以来のことなので、自然災害で交通網って麻痺するんだなというのを改めて実感した。僕は中央線を利用しているのだが、その脆弱さは大阪にいる頃から聞いており、噂に違わぬ貧弱さだった。平常時ですら遅延ばかりしており、ちょっと強風が吹くだけで止まってしまう中央線が、台風の時に平常運転できるはずもなく、千葉に住んでいる同僚は会社から帰れない、会社に行けないという状況が多発していた。会社のチャットでは、出社した人が今会社に何人いるかを常に実況しているようなチャンネルが盛り上がっていた。
 僕はというと、本気を出せば出社することができたが、その時ちょうど仕事が詰まっているわけでもなかったので、合法的に欠勤した。

TGS
 初めてのTGSは仕事として行くことになった。
 こういったゲーム関係のイベントは初めてで、賑やかなイベントごとはそれほど好きではないが、そんな僕でもかなり興奮したことを覚えている。具体的にあのブースが見たいとか、何を試遊したいとか、そういうのがあったわけではないが、イベントの盛り上がりを感じることができただけでも得るものはあったように思う。
 仕事で行ったので、レポートの提出を求められていたのだが、雰囲気めっちゃ良かったっス!などと書くわけにもいかず、なんとかインチキできんのかと思案した結果、沈黙を守り通すことで、今日に至るまでレポートは提出されていない。

③東京ドライブ
 なぜだったかは忘れたが、後輩が大阪から車で東京まで来ており、適当なところに連れていってくれるというので、うどんを食べてスーパー銭湯に行きたいと要望した。
 僕は23区内に住んでいるが、小さい銭湯は数あるものの、スーパー銭湯というのは殆どない。大阪にいた頃は田舎に住んでいて、スーパー銭湯というのは近い、安い、でかいというものだと思っていたが、23区内ではまず手に入らないものだった。
 そして美味いうどん屋も少ない。あるのは謎のそば屋ばかりで、大阪にいた頃と違って気軽に美味いうどんを食べることができない。
 なので、どこか行きたいところがあるかと言われて、この2つが淀みなく出てきた記憶がある。駅前に丸亀製麺ができたぞ!などとありがたがっているようではいけないのだ。

④詐欺
 会社の同僚と天気の子を見た帰りだったか、突然外国人の女の人が札を見せてきた。
 「私は耳が聞こえません。あなたがこの国旗を買ってくれることで、私はより日本について学ぶことができます。500円で購入、協力してください」およそこんなことが書いてある紙だ。
 東京に来て1年、今でもここはゴッサムシティだと思っている僕に死角はなく、一瞬で怪しい空気を読み取ったので、無視して帰路についた。後で調べると、そういう詐欺だったようで、すごい慣れた手付きだったのが今思い返しても腹立たしい。
 ゴッサムシティだと思っている一方で、詐欺だという確証があるわけではなかったので言えなかったが、中指の一つでも立てて「他所をあたんな、ビッチ」くらい言い返してやりたかった。

⑤スロット
 会社で一番仲良くしてくれている先輩がスロットが好きで、僕を沼に引きずりこもうとスロットに誘ってきた。
 一度もやったことがなく、いつか一回やってみたいと常々思っていたのでホイホイとついて行き、あっという間に5000円を溶かしてしまった。その隣で先輩は嘘みたいにメダルを稼いでいて、僕のプレイを見ていた先輩いわく「初めてとは思えないほど目押しが上手いのに、運の要素で異常なほど下振れしている」とのこと。キチンと目押しができれば、期待値が103%かなんだかになる台だとかで、その後も金を増やすためにスロットを打て打てとしきりに勧めてくるのだが、初めてのプレイにも関わらず、運の要素で異常なほど下振れする人間に二度目はない。
 その日、ウメハラも驚愕する目押しで拾える子役を拾いに拾って、最終的に3000円マイナスくらいに納めたのだが、その時端数で交換したフリスクは今でも職場の机の上で悲しく鎮座している。

■10月
 会社の同僚らと、そのお子さん二人とBBQに行く陰キャらしからぬイベントがあった。
 こういう機会があったらずっとやりたいと思っていた燻製と凧揚げの道具を用意したのだが、風がほとんど無くて凧は思うように上がらず、燻製は温度が高いせいか、チーズが軒並み溶けて全滅してしまうという敗北っぷりだった。
 子供と遊ぶのは本当に久しぶりだったのだが、その元気さには参ってしまった。凧は上がらないがバドミントンをするには厳しい風が吹く中、僕は一日中風下から風上へシャトルを送り続けていた。汗だくになってしまったので、帰りに併設されていた銭湯に入ることになったのだが、BBQまでならまだしも、会社の人と風呂に入ることがあるとは思いもしなかった。

 行きも帰りも、このお子さんを連れてきた方が運転をしてくれていたのだが、帰りは疲れ果てて僕含めてみんな車内で寝てしまった。
 普通の友人とかの運転はどこか不安というか、助手席に座っていれば右折左折をする度に、一緒になって安全確認をしたりしてしまうものだ。
 申し訳ないことをしたと思いつつも、チーム内で母と呼ばれる同僚の運転は、どこか懐かしい感覚がしたのを覚えている。

■11月
 「まともにコミュニケーションを取れる人」
 この意味を真に理解したのはつい最近のことだった。
 社員の平均年齢が低いせいなのか、ゲームという業界のせいなのかはわからないが、精神が未熟なままに社会人になってしまった人というのが非常に多い(私が精神的に成熟しているとは言わないが)。詳しく書くとそれだけで1万文字くらい行ってしまいそうなので割愛するが、自身を守るためにあの手この手で他者を攻撃する、そんな人がそれなりの数いるのだ。
 エンジニアの同僚と、定時後にダッシュ現場猫のガチャガチャを探しに行く裏では、キッズ対策委員会みたいなものが組織され、それに裏で参加するようになった。
 名古屋で開催されたGPに行っている間も、ずっとその対応をしていて、旅中の気持ちの3割くらいはこれに持ってかれていた。*8
 仮にも大人だけで構成されている組織で、こんな小学生の学級会みたいなやりとりがやられていることに驚いたが、思えば前職でも問題児というのは一定の割合でいたし、業界的な問題でもないのかもしれないなとも思う。

 こういう話が出る中、前述の仲良くしていた同期が退職してしまう。
 一番仲良くしていたし、チームの主力となる非キッズがいなくなってしまうのは一抹の寂しさがあったが、笑顔で送り出してやりたいと思い、彼の退職する日に手紙を書いた。指導にあたっていた先輩が真面目な手紙を読んだあと、僕が嘘で99%塗り固めた手紙を読んだのだが、これがこの1年で一番笑いを取れた瞬間だった。
 これ以降、ちょこちょこ手紙芸をすることになるのだが、また別の機会に。

■12月
 僕の指導にあたってくれていた先輩が他のチームに異動になってしまい、その穴を埋めるために僕が中核メンバーの一人になった。
 入社した時、ゲーム業界は入れ替わりが激しいから、1年もいればベテランだよ、などと言われ、半ば冗談だと思っていたがまさか本当にそうなるとは思わなかった。入社してしばらくは作業者としての仕事が多かったのだが、最近になってようやく、頭を使う仕事が増えてきて楽しくなってきた。
 正直給料の割には合わんなとは思うが、これをやるために様々なものを捨ててきたのだ、そう思わせてくれる仕事がようやく巡ってくるようになってきたのだ。
 しかし、これからやっていくぞ!という矢先、インフルエンザにかかってしまった。おかげで12連休となったわけだが、せっかくの休みなので、せっせと初めてのふるさと納税の手続きをしてみたり、7時間18分の映画を見に行ったりした。
 それでもなお時間があったので、人生のターニングポイントとなった1年について、こうしてブログを書くに至っている。

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 好きな漫画や映画を10タイトル挙げろと言われてどんな作品を思い浮かべるだろうか。
 その時々によって変動もするが、生涯塗り替えることのないだろうなというタイトルがいくつかある。そのうちの1つが「アタゴオル玉手箱」という漫画だ。

 僕の通っていた小学校の図書館には、記憶している限り漫画が2種類あった。今思えば不思議なラインナップだが、1つは手塚治虫火の鳥、もう1つがアタゴオル玉手箱だった。
 当時はジャンプで言うとワンピースが10巻ぐらいまで出ており、BLEACHが連載を開始した頃だったと思う。クラスの中心人物たちはこぞってそれらを読んでいたが、僕を含む数人の友達らは、アタゴオル玉手箱を繰り返し図書室から借りては、その世界観に没頭していた。
 

 アタゴオル玉手箱は、一言で言ってしまうと宮沢賢治の世界観を漫画にしたような話なのだが、その中でも僕は星街編が好きだ。

 どういう話か簡単に説明すると、普通の人は目にすることができない、星街の入り口を”釣る”ところから物語は始まる。登場人物らは年に一度、特殊な釣り針を店で購入し、星街の入り口へと導く光を釣るために、針を磨いたり、空気の流れが良い場所を探す。そこで釣り糸を垂らし、星街の入り口がかかるのを待つ。釣り針にかかった輝きを辿って空に登れば、星街にたどり着くのだが、必ず釣れるというものでもなく、今年こそは!というような類のものであるようだ。
 星街では、飲むと世界に一枚の切手が入った卵が産まれる流星コーヒーを飲むとか、星の光で焼いたパンを食べるとか、言葉ではおよそ説明ができない魅力的なエピソードがたくさん出てくるのだが、これは実際に漫画を読んでみてほしい。*9

アタゴオル玉手箱 (1) (偕成社ファンタジーコミックス)

アタゴオル玉手箱 (1) (偕成社ファンタジーコミックス)

 

  希望の転職をすることができ、東京に来た昨年の1月、僕はようやく星街に辿り着いたのだなと思った。
 しかし1年経った今、まだどこにも辿り着いてなどおらず、釣り針に輝きがかかっただけだったのだなと感じる。まだ目の前の道は一本道にしか見えず、遠くに見える街の全体像もおぼろげだ。今は星街で飲むコーヒーの味を夢想しながら、釣り針にかかった光を失わないよう、星街の入り口まで歩みを進めるしかない。

 2019年はよく孤独と闘ったと思う。

 給料は下がって常に金欠だし、後ろ支えもない。
武器となる確固たる技術があるわけでもない。戻るべき古巣もない。進んでいる道が正しいのか、安全なのかもわからない。お前の進む道は正しいのだと、後押ししてくれる人もいない。せめてこのうち一つでもあればと思うが、おそらくあと数年は、同じような闘いをするのだろうなという予感がある。冒頭にも書いた焦燥感や、こういった孤独感は30歳前後の人特有の悩みっぽいなぁとも思うので、いつか若い時はこんなに不安だったんだなと、笑い話になる日がくればいいと思うが、今はもうオールインするより他に手はない。星街に入る前なのか後なのかはわからないが、いつか落ちてしまうにせよ、今はとにかく釣り針にかかった輝きだけは逃さないようにしたいと思う。

 正面からも背後からも風は吹いているが、1年経った今でも、釣り針が錆びついてはいないことだけが幸いだ。 

 

 

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■編集後記

2020年初出勤は貫徹スタート。恐らく残業も確定している。

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*1:仕事の内容が自分のやりたいことと一致しているならそれが最善だとは思う。疑いなく信じられるなら、それ以上に幸せなことはない。

*2:誰がどこで何をしているのかももうよくわからない。関東にいるぞ!っていう人は是非ご連絡ください。

*3:メイド喫茶好き、というとめちゃくちゃ典型的なオタクをイメージされるかも知れないが、それとは全く異なる好青年だ。メイド喫茶に行く理由も常軌を逸していて、非常に魅力的な人間なので、また別の機会に

*4:僕はエンジニアではない。ゲーム制作は大きく分けると企画、エンジニア、デザイナーの3職種にわかれるが、僕は企画職である。

*5:アイスボーンの発売が控えていたので始めたのだが、結局アイスボーンは買ったものの全然プレイしなかった…

*6:ご存知、マジック・ザ・ギャザリングの年数回ある大きい大会

*7:つけ麺は決して不味くはないんだが、これ頼むくらいならラーメン頼めば良くない?という思いが僕の中で強い。つけ麺とラーメンの決定的な違いはそのUXだと思うが、味の濃い汁に麺を浸す体験の不必要さをとても感じてしまう。

*8:余談だが、GP名古屋といいつつ開催地は中部国際空港(名古屋から電車で一時間くらい離れた常滑にある)で、初めての利用だった。会場の周辺には本当に何もなく、二度とここで開催しないでくれという気持ちでいっぱいだが、2月にまた同じ場所で開催されてしまう。南無三。
肝心の大会の内容も奮わず、今では禁止されているカードがそこここで舞う凄惨な環境であった。唯一の救いは、空港内の銭湯が非常に良かったことくらいだ。

*9:星街編は1巻に掲載されているのですぐ読める。マジで読んで!