努力の夢枕

 社会人になってしまった。
 職場と家を往復する毎日に心をやられてしまうOL、みたいなキャラクターを見る度に「言うてでしょ」などと思っていたが、実際自分がそういう立場になってみると本当に厳しいものを感じる。体力的にはそれほどキツくないホワイトな職場だが、仲の良い同期もおらず(そもそも同期がほぼいない)、良い距離感を持った人と会話できない毎日が続くというのがこれほど辛いことだとは思わなかった。誰とも会わない日が4,5日続くとさすがにしんどいなと感じるが、そっちの方がまだマシだ。大学の時の、友達ではないただの同級生、みたいな距離感が本当に苦手だったが、「職場の人」の距離感というのはそれに次ぐしんどさがある。大学の「知り合い」の距離感よりかは遥かにマシだし、単純に自分のストライクゾーンがあまりにも狭いというだけの話なのだが。

 そんな乾ききった毎日で唯一の楽しみは昼休みである。
 僕の職場では朝注文すると昼休みに弁当を届けてくれるのだが、メニューの数が結構豊富で月替りな上に、毎食100円程度の団体割引がある。自分で弁当を作るのもなんだし、パンを食べたい気分の時以外は基本的にこれを、メニューの上から食べたことの無いものを潰すように食べている。この昼休みに食べる弁当、大体どの弁当を頼んでも僕が人より評価点を与えるであろう品が入っている。

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 右のは適当に拾ってきた画像だが、このシンプルな弁当にも同じ要素が含まれている。その要素とは、唐揚げの下に敷いてあるスパゲッティである。この建物を支える基礎のように唐揚げを支えるスパゲッティのことを、僕は弁当のイナバウアーと呼んでいる*1

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 イナバウアーとは2006年のトリノオリンピックにおいて、フィギュアスケート荒川静香選手が披露したことで話題になった技だ。上半身を大きく反らせる技で、得点には一切結びつかない、といったイメージが記憶に残っている人が多いと思うが、まさにこの「直接得点にはならない」といった点で上記のスパゲッティは弁当のイナバウアーなのである。

 僕はこのスパゲッティに対して人よりも点数を与える傾向にあると思っているので、もう少し共感度が高いと思われる例を出すと、松屋の味噌汁がそれに当たるのではないかと思う*2。寒い冬などは無料で暖かい汁物がついてくるので明らかな加点ポイントになり得るが、基本的にはそれほど美味しいわけでもないので加点要素としては扱わないように思う。あくまで僕は牛丼チェーンに入るときは、サッと食って出られればそれで良いのでそう思っているが、吉野家に行ってもすき家に行っても必ず味噌汁を頼むという人にとっては、明確に味噌汁代が浮いているのでそう思わないかも知れない。例えば並んでいる牛丼チェーンのどれかに入るぞという時に、あの味噌汁が店を選択する要因の1つとはならないが、出口調査のアンケートとかがあって店を評価しろと言われたときには、加点ポイントとする可能性がある、という話である。矛盾する話のように見えるが、ある側面では評価されないが、別の側面から見ると評価されることがある、ということがあるのだ。
 実際は、イナバウアーが全く得点にならないわけではないように*3、店側から考えて見ると、少しでも弁当や配膳の見た目をよくしようとか、マクロで見たときに売上が上がるということなのかも知れないが、とにかく僕はこういうやり方というか、客からしてみれば気遣いやもてなしといったものに弱い。

 

 さて、少し話が変わるが、少し前に彼女がCookDoを使ってご飯をつくる話がTwitterで話題になった。

blogos.com

 「彼女が飯にCOOKDOとか使ってるとムカつく」と言っているのを聞き、味の違いが分かるのか聞いたら、曖昧な反応だった。そこで、「『お前が食いたいのはメシか?それとも彼女の苦労か?時間か?』と小一時間説教食らわせた」という投稿が大元らしい。当時どういう論調が主流だったのかはあまり記憶がないのだが、僕はCookDoの可否について話したいわけではなく、苦労を食いたい時、あるよね?という話がしたいのである。苦労を食いたいというと語弊があるが、ご飯をつくってくれるという場面で言うなら、料理そのものの味や見栄えよりも、つくってくれたという事実の評価点のほうが全体で占める割合が大きいよ、ということだ。「スピンとかジャンプ一個一個の技のレベルは低かったけど、途中イナバウアー挟んでたよね。あれは良かった。」スケートで言うならこういうことだ。さっきの男が毎日食事をつくって貰っていて、自分で料理もできない、それでもCookDo使うなと言ってるならなんやこいつで終わる話だが、初めて作ってくれるご飯でCookDoを使っていたら、減点してしまうという気持ちは十分理解できる。味は不味いが一からつくった麻婆豆腐 > 味は美味いがCookDoで作った麻婆豆腐という図式が僕の中で成り立つのは、創意工夫やチャレンジ精神といった項目への評価点が高いからだ。

 先ほど少し述べたが、人が自分にしてくれたことへの評価というのは、2つの側面があるように思う。1つは「つくる側」、もう1つはそれを「受ける側」としての評価だ。
 お笑いのコンテストに例えると、M-1グランプリは「つくる側」、オンエアバトルは「受ける側」の評価がそれぞれ優位であると言えるだろう。M-1グランプリは予選を勝ち抜いた9組のグループを8人の審査員が評価する。予選こそ観客の投票だが、優勝を決める数名の審査員は全てお笑い芸人である。ネタが終わった後に審査員がそれを講評する時間があるのだが、純粋な面白さ以外にも漫才としての構成などを評価する場面を見たことがあるかも知れない。これは「つくる側」としての巧みさを評価しているのである。一方オンエアバトルは会場にいる100名の観客が、ネタを見た後に手持ちのボール(票)を入れるか入れないかを決め、その得票数が多い上位5組をテレビでオンエアするというものである。よほどお笑いに詳しい人でも無い限り、票を入れるか入れないかは、純粋に面白いと感じたかそうでないか、「受ける側」として判断するはずである。「あそこでツッコミを入れるのはセオリー的には誤りですが、今回のネタに関しては全体のテンポが良くするために敢えてツッコミを入れており、そこから会場の盛り上がりに繋がっていたので非常に巧いと思いましたね」なんて評価する素人はまずいないだろう。
 自分が何かを評価する時そう考えるので「つくる側」「受ける側」としたが、「論理的」⇔「感情的」、「減点式」⇔「加点式」、「相対的」⇔「絶対的」と言い換えてもいいかも知れない。

 

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 つまるところ何が言いたかったかと言うと、人によって、場合によって、評価の構造や割合に違いってあるよね、という話だ。僕はつくる側として物事を評価することが多いので、唐揚げ下のスパゲッティについても、わざわざこのために茹でて味付けして下に敷いてるんだなぁと思うので、味や食感はどうであれ+3点!となってしまうし、見栄えも味も100点のびっくりドンキーのハンバーグを奢ってもらうよりも、ぐちゃぐちゃで味も微妙なハンバーグを一生懸命つくってもらったほうが何百倍も嬉しいと感じる。

 

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 これだけ考えても的確に言葉にできたという感触が無いが、結果よりも過程というか、自分では代用できないかけがえの無さというか、費用対効果の見合わなさというか、そんな無形の何かに強く惹かれてしまうのということなのかも知れない。

 

 

 

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■編集後記
原チャで行ける場所なら平日夜でも遊びに行くので、近隣の人は遊びに誘ってくれ…
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*1:記事タイトルこれにしようかなと思ったくらい気に入っているワードだ。

*2:松屋で注文をすると、基本的に味噌汁が1杯ついてくる。牛丼食べた後にもう一回牛丼食べても、しっかり追加の味噌汁がついてくる。

*3:詳しくは自分で調べて貰うといいが、フィギュアスケートには技術点と構成点という点数があり、ジャンプやスピンは技術点、演技全体の評価が構成点である。イナバウアーは構成点の中の項目の1つであり、直接これをしたから何点、というのが定められているわけではなく、演技全体の点数を上げるためにやっているという点では、全く点数にならない技というわけではないようだ。