星街の招待

 第二の故郷である大阪を離れ、東京に来て1年が経った。
 1年を総括する節目の時くらい、思ったことを言葉にしておくかという気持ちになったので、明日からまた仕事だぞという連休最終日の深夜にブログを書いている。

 始めに、2019年が僕にとってどういう年だったか。一文にまとめると「孤独感と闘った一年」だったと思う。

 僕は建築系の非常に安定した、それなりに社会的地位もあるだろうという職についていたが、昨年1月にゲーム関係の会社に転職をした。学生として6年間、社会人としておよそ2年間を大阪で過ごし、それなりのものを失って東京に来たように思う。安定した職、長い時間をかけて築いてきたコミュニティ、安くて広い家、原付のある生活…細かいものまで挙げればきりが無い。
 じゃあなぜ転職したんだという話だが、前職に就いている時は常に焦燥感との闘いをしていたからだと思う。普通にしていれば黙っていても給料がそれなりに上がっていくし、余程のことがなければクビにもならない。でもこの仕事を一生続けていくのか?本当にこんなことを続けていて良いのか?そんな焦燥感を振り切るための転職であったと言っても間違いではない。

 事実、転職をして焦燥感とは無縁となった。しかし、そうなったらそうなったで、次は孤独感との闘いが待っていた。
 安定した職場で、友人も多い大阪に留まったほうが良かったんじゃないか。自分の選択は正しかったのか。この一年で得た体験が、将来への布石が、失ったものに対して本当に見合っているのか。
 レールから外れた人生を生きたい。そう願っている一方で、転職という少し異なるアクションをするだけで怯えてしまう。いい大学を出て、大手の企業に就職して、定年まで働いて、そんな僕の親世代が描いた人生が「良し」と刷り込まれてきたから。
 そういう人生こそが良いと心から思っているわけではない。*1 だが、それ以外の道が正しいという確証もない。仕事を変えて、住む場所を変えて、多くのものを失ったが、それ以上に得るものがあったのだと、証拠はなくても信じなければならない。
 そんな言いようのない孤独感が、隙あらば襲ってくるのだ。
 転職したこと自体は、間違っていなかったと確信しているが、神を心から信じていたところで、不安なものは不安だ。神を信仰している人が自分一人だったなら、その信仰は何の役に立つのか?そういう話だ。

 なんてネガティブな書き出しをしてしまったが、面白おかしく生きてはいる。
 実際、面白いことあった?と聞かれるといや別に…となってしまうが、2019年は心動かされるイベントが多かったとは思う。なので月毎に、あったこと感じたことをメモというか、日記というか、初めて体験したこととか思ったことを中心にザッと書き出してみようと思う。
 もし僕の友人で東京に来ることがあれば、一声かけて頂いて、お茶するでも食事するでも良いので、話を聞いてくれたら嬉しい。*2

■1月
 2018年の末、本当にギリギリまで前職の仕事を続けていた。
 職場の人間関係をちゃんと構築していたので、最後まで期待に応えたいと、有給をかなりの数余らせてしまったが、不思議と後悔はなかった。おかげで引っ越しは本当にバタバタとして、電気もねぇ、ネットもねぇ、カーテンもねぇ、そんな中で漫画喫茶と行ったり来たりをしながら1週間程度生活していた。
 電気は通るようになっても、生活に必要な道具がダンボールの山のどこにあるのかがわからない。カーテンのない窓から覗く蛮族の視線。新居が国道に近く、毎日のように救急車と消防車がサイレンを鳴らす。隙を見せれば金を毟り取ろうとするハゲタカのような不動産仲介業者。書類が足りないと、住民票の手続きを拒否する区役所職員。湯が出ないからと銭湯に行き、無名のシャンプーのせいでギシギシになった髪。そして東京の冷たい風が孤独感に拍車をかける。ベッドもまともに組み立てず、マットレスを床に直接置き、浮浪者のように眠った。
 平日は心労からか荷解きをする気など起きず、土日に少しずつ、住環境を整えていったのだが、早くこの家を自分の家にしないと、心身ともに摩耗しきってしまう、そんな焦りがあったのを覚えている。

■2月
 一月経つと、段々家が家らしくなってきた。
 まず最初に、大量の漫画だの何だのを収納するための本棚を4台購入した。送料が馬鹿にならないので、ニトリで軽トラを借りて自分で搬送をした。知らない街で車を運転し、引越し業者のように軍手をはめて本棚を搬入すると、まるでサバイバルをしているような気持ちになったのを覚えている。
 この頃よく見ていた、YouTubeのサバイバル動画のせいでそういう感覚になったのかもしれないが、無人島でやっているのか、都会のコンクリートジャングルでやっているのかの違いだけで、本質的にはやっていることが同じだなと思った記憶がある。
 キッチンの整備がかなり遅れてしまったことや、電気ケトルがなかなか発掘できなかったので、アルコールランプで湯を沸かしたり、マッシュルームの缶詰を温めたりと、本当にサバイバルじみたこともしていた。
 本棚も一度には組み立てられないので、パズルのようにダンボールを移動して、本棚を組み立て、荷解きをして、というのを毎週末じわじわと続けた。前職は勤め始める前から、きっと転職をするだろうと思っていたので、学生時代の下宿から引っ越した際、漫画や本の入った箱は一切開封をしていなかった。
 本棚を組み立てる度にダンボールが減っていく。ダンボールが減るにつれ、カーテンや家電が見つかる。ベッドを組み立てるスペースもできる。二年越しの荷解きをして、棚にものを納めていくごとに、必要家財を掘り出す度に、失われた人間性が戻ってくるように感じられた。

■3月
 仕事に慣れてきて、そのプレッシャーを感じ始めた頃だった。
 非常に奇遇なことだが、僕が配属になったチームに、僕と同郷、しかも中高が同じという先輩が2人もいた。そのせいもあってか、チームに馴染むのにそう時間はかからなかった。
 僕は取り立ててコミュニケーションが上手いわけではないと思うが、度々「まともにコミュニケーションが取れる人」という評価を貰うことがあった。はァ、そうですかねェ、そう言って当時はその真の意味を理解できていなかったが、年末近くにその意味を思い知ることになる。

 前職は家で仕事のことを考えるということなどあり得なかった。
 勉強することも特にないし(熱心に働こうと思えばできたが)、何より、定時の時間内でもかなり時間が余っていて、やることを常に探しているような状況だったのに対し、今の仕事は一日が何時間あっても足らない。勉強しなければいけないことも山のようにある。今までぬるま湯に浸かり続けてきて曲がってしまった性根を矯正する、そんなキツさが三月目にして出始めたのだ。
 この辛さはここから半年くらい続いたように思う。

■4月
 3ヶ月遅れで、ほぼ同期のチームメイトができた。
 チーム内最若手として、孤独に闘っている中、同期がやってくるのは本当に心強いなと思った記憶がある。とはいえ、彼は半年後退職してしまうことになるのだが…
 彼とは仕事以外でも仲良くしていたのだが、彼はメイド喫茶に行くのが好き*3だというので、親睦を深める意味合いも込めて連れて行って貰った。
 これが初めてのメイド喫茶だったが、行こうと思ったのは初めてではなかった。
 高校一年生のとき、初めて東京に来た。当時はまだクールジャパンといった言葉もなかったが、オタク文化が非オタクの人に認知され始めた頃だったように思う。そんな流れの中、男子校でオタクとしての最盛期を迎えていた頃、秋葉原に来たのだ。メイド喫茶に行こう、と行って店の前まで来たはいいものの、高校生にとっては恐ろしく高い値段設定に怖気づいてしまい、泣く泣く撤退したのを今でも思い出す。

 また、初めてe-sportsの大会を見に行った。
 League of Legendsというゲームで、僕はほぼやったことはないのだが、MOBAというジャンルの中では筆頭のゲームだ。ふむふむ、今のプレーはすごいですね…みたいな見方をしている、おそらくはプレイヤーなんだろうという人たちと、サッカーか野球でも見ているかのように黄色い声援を飛ばす人たちに二分されていて、不思議な空間だった。
 ゲーム業界を取り巻く環境はどんどん変わっていっていて、e-sportsの話題は避けては通れないだろう。今後はどんどんe-sportsが流行っていく…というように業界を動かそうとする意思は感じるし、大会を見に行ってその気を何となく感じはしたんだが、まだ厚い壁があるなと感じた。その壁が何なのか、適切な言葉にすることが今はできないが、ゲーム業界でやっていくなら、ゆくゆくはぶつかっていくであろう壁であるような気がしている。

■5月
 元号が令和になった。
 2019年のゴールデンウィークは長く、新環境に慣れるのに必死で、毎日が走るように過ぎ去っていく中、初めての長期休暇だった。必死になっていると忘れてしまうが、少し余裕ができると孤独感が襲ってくる。
 孤独感から目を逸したいときに決まって取るアクションというがあると思う。
 それは人によって違うだろうが、僕の場合はランニングや筋トレとか、映画を見ることがそれだった。頭に無理やり情報を入れることで、余計なことを考えないようにしたい、そんな気持ちから撮ってしまうアクションのような気がする。大阪にいた頃、このブログを書いていたのもそんな気持ちがあった気がするが、ランニングとかの方法が孤独感を抑え込むための手段なら、ブログに吐露するのは、アメリカのグループカウンセリングみたいな感じだろうか。
 というわけで、東京に来て初めて映画を見に行ったのである。大阪では原付で行ける範囲にめちゃくちゃ大きい映画館があったので本当に隔週くらいのペースで行っていたような気がするが、こっちに来て一度も来ていなかった。1月に僕を陥れたあの忌々しいバスに乗って行くことになるのだが、無事和解することができ、映画館まで僕を導いてくれた。

 あと、今までまともにやったことのなかった、テーブルトークRPGを会社でやった。
この頃から、定時後に時間がある時、ちょくちょくボードゲームで遊ぶようになった。
徐々に会社にいるときのアウェー感というものがなくなってきて、家庭があろうがなかろうが、家にいるよりも会社のほうが居心地良く感じる仕組みってこうなのかもしれないなと思った。

■6月
 やはり根が理系だからだろうか、エンジニアの人とは仲良くなりやすいように思う。*4
 前述のボードゲームをするのもエンジニアとだったし、一度目の大阪に続いて二度目となる、ゲームマーケットに会社のエンジニアの同僚と行った。大阪のゲームマーケットとは規模が桁違いで驚いた。
 4月に行ったLoLの大会と比較すると、スポーツのような熱狂的な盛り上がりこそあるわけではなかったが、それとは軸の異なる盛り上がりがあって、僕はどちらかというとこちらの盛り上がりにこそ未来があるように思った。

 また、この頃になると土日に同僚とモンハンをするようになった。*5
 大学以来のモンハンは、僕が最後に触れたものとはかなり変わっていて、敵を倒して素材を集めるという、やること自体は同じでも新鮮な体験があった。何より、通話しながらやるモンハンが、僕が重要だと感じるゲーム体験の一つだということを改めて実感した。

■7月
 入社して半年、ようやくそれなりの大きさの仕事を任せて貰えるようになった一発目が7月だった。
 本当にやったことないことだらけ、八方から飛んでくるわからん殺し、山のような後出しジャンケン、大学の卒論程とは言わないが、かなりハードな一月だった。僕が入社してから、法律が変わって残業の上限ができたのだが、その上限まで行ったのがこの月だった。
 今のチームでは、悪い文化はどんどん撤廃していきましょう!という動きが最近あるのだが、その悪い文化を体験する最後の一人が僕になることが多い。今思うと、人前で大声で怒鳴りつけるとか、人のエラーを糾弾するための会議とか、Twitterで流れてくるこういうやり方が生産性を下げる!みたいなものの見本市のようだったと思う。
 まぁ、僕がミスしたこと自体は疑いようのない事実なんですけどね…

■8月
 7月からの仕事が一段落した。
 仕事にはやはり波があるもので、忙しい時は昼食を摂る時間もないが、落ち着いている時は普通におやつのために外出したりもできる。この自由さは僕に非常に合っていて、必ず12時から13時の一時間で休憩を取ることが義務付けられていた前職よりも、遥かに働きやすいと感じる要因の一つだ。初めてThe Alleyのタピオカミルクティーを飲んだり、31にアイスを買いに行って、貰ったドライアイスで遊んでたら怒られたりした。
 基本的には緊迫しているアニメの、閑話休題回という感じだ。

 GP*6があったので初めて有給を取った。
 のだが、会社でのチャットのやり取りはスマホで見ることができ、私の残していった仕事がプチ炎上しているのを見てしまい、全然休んでいる気がしなかった。これからは有給取る前は落ち度の無いよう完璧な仕事をするか、この気の休まらない感じと付き合っていくかの二択になるわけだが、恐らく後者なのだろうなぁという気がしている。

 そして余裕が出てくると孤独感というのが襲ってくるもので、過去をよく振り返った気がする。7月に大きい仕事をした燃え尽き症候群だろうか、あのまま大阪に残って仕事を続けていたらどうなっただろうとか、そんな思いがよく頭を巡った。

 そもそも、前職は社会人として一番最初の仕事であったが、本当に大切なものを尽く見誤った就職をした。もうすぐ社会人歴に4年目になるが、未だにそのエラーが胸を刺すことがよくある。たくさんの間違いのうち、1つでも防げたなら、現状はもっと良いものになったのではないか。人は損失に対して過敏だ。
 孤独感等から目を逸らすためにやること、というのを先に述べたが、あまり美味しくないとわかっている店に入る、というのも僕の中にある気がする。
 本当は見たくないはずのものを見てしまう、といった経験があると思うが、それは予想通りの結果が得られることに対して快感を感じるからだとかで、それと同じような心理だと思っている。
 僕の中ではつけ麺*7が代表的で、孤独のグルメの「そうそう、こういうのでいいんだよ」の3段階くらい下、低い次元で提供されるものの予想が必中する、そんな安心感を本能的に求めているのかもしれない。
 関西では見かけなかったが、関東には日高屋という中華のチェーン店がそこかしこにあって、ここはこの体験を得るのに最適だと感じた。4月だか5月だかに一回入ってみてうーんと思った記憶が、バチッとハマったのだ。全体的にグレーっぽい炒飯、なんかでかい付け合せのザーサイ、大学の学食みたいな唐揚げ。決して不味くはないが取り立てて美味くもない、完全に予想を越えないものが出てくる安心感が、都内では至るところで提供されているのだ。

■9月
 この1年で、9月が最もいろんな初体験をした。
 全然関連性のない、単発の体験が多かったので箇条書きにする。

①巨大台風
 電車で通勤通学するのは高校以来のことなので、自然災害で交通網って麻痺するんだなというのを改めて実感した。僕は中央線を利用しているのだが、その脆弱さは大阪にいる頃から聞いており、噂に違わぬ貧弱さだった。平常時ですら遅延ばかりしており、ちょっと強風が吹くだけで止まってしまう中央線が、台風の時に平常運転できるはずもなく、千葉に住んでいる同僚は会社から帰れない、会社に行けないという状況が多発していた。会社のチャットでは、出社した人が今会社に何人いるかを常に実況しているようなチャンネルが盛り上がっていた。
 僕はというと、本気を出せば出社することができたが、その時ちょうど仕事が詰まっているわけでもなかったので、合法的に欠勤した。

TGS
 初めてのTGSは仕事として行くことになった。
 こういったゲーム関係のイベントは初めてで、賑やかなイベントごとはそれほど好きではないが、そんな僕でもかなり興奮したことを覚えている。具体的にあのブースが見たいとか、何を試遊したいとか、そういうのがあったわけではないが、イベントの盛り上がりを感じることができただけでも得るものはあったように思う。
 仕事で行ったので、レポートの提出を求められていたのだが、雰囲気めっちゃ良かったっス!などと書くわけにもいかず、なんとかインチキできんのかと思案した結果、沈黙を守り通すことで、今日に至るまでレポートは提出されていない。

③東京ドライブ
 なぜだったかは忘れたが、後輩が大阪から車で東京まで来ており、適当なところに連れていってくれるというので、うどんを食べてスーパー銭湯に行きたいと要望した。
 僕は23区内に住んでいるが、小さい銭湯は数あるものの、スーパー銭湯というのは殆どない。大阪にいた頃は田舎に住んでいて、スーパー銭湯というのは近い、安い、でかいというものだと思っていたが、23区内ではまず手に入らないものだった。
 そして美味いうどん屋も少ない。あるのは謎のそば屋ばかりで、大阪にいた頃と違って気軽に美味いうどんを食べることができない。
 なので、どこか行きたいところがあるかと言われて、この2つが淀みなく出てきた記憶がある。駅前に丸亀製麺ができたぞ!などとありがたがっているようではいけないのだ。

④詐欺
 会社の同僚と天気の子を見た帰りだったか、突然外国人の女の人が札を見せてきた。
 「私は耳が聞こえません。あなたがこの国旗を買ってくれることで、私はより日本について学ぶことができます。500円で購入、協力してください」およそこんなことが書いてある紙だ。
 東京に来て1年、今でもここはゴッサムシティだと思っている僕に死角はなく、一瞬で怪しい空気を読み取ったので、無視して帰路についた。後で調べると、そういう詐欺だったようで、すごい慣れた手付きだったのが今思い返しても腹立たしい。
 ゴッサムシティだと思っている一方で、詐欺だという確証があるわけではなかったので言えなかったが、中指の一つでも立てて「他所をあたんな、ビッチ」くらい言い返してやりたかった。

⑤スロット
 会社で一番仲良くしてくれている先輩がスロットが好きで、僕を沼に引きずりこもうとスロットに誘ってきた。
 一度もやったことがなく、いつか一回やってみたいと常々思っていたのでホイホイとついて行き、あっという間に5000円を溶かしてしまった。その隣で先輩は嘘みたいにメダルを稼いでいて、僕のプレイを見ていた先輩いわく「初めてとは思えないほど目押しが上手いのに、運の要素で異常なほど下振れしている」とのこと。キチンと目押しができれば、期待値が103%かなんだかになる台だとかで、その後も金を増やすためにスロットを打て打てとしきりに勧めてくるのだが、初めてのプレイにも関わらず、運の要素で異常なほど下振れする人間に二度目はない。
 その日、ウメハラも驚愕する目押しで拾える子役を拾いに拾って、最終的に3000円マイナスくらいに納めたのだが、その時端数で交換したフリスクは今でも職場の机の上で悲しく鎮座している。

■10月
 会社の同僚らと、そのお子さん二人とBBQに行く陰キャらしからぬイベントがあった。
 こういう機会があったらずっとやりたいと思っていた燻製と凧揚げの道具を用意したのだが、風がほとんど無くて凧は思うように上がらず、燻製は温度が高いせいか、チーズが軒並み溶けて全滅してしまうという敗北っぷりだった。
 子供と遊ぶのは本当に久しぶりだったのだが、その元気さには参ってしまった。凧は上がらないがバドミントンをするには厳しい風が吹く中、僕は一日中風下から風上へシャトルを送り続けていた。汗だくになってしまったので、帰りに併設されていた銭湯に入ることになったのだが、BBQまでならまだしも、会社の人と風呂に入ることがあるとは思いもしなかった。

 行きも帰りも、このお子さんを連れてきた方が運転をしてくれていたのだが、帰りは疲れ果てて僕含めてみんな車内で寝てしまった。
 普通の友人とかの運転はどこか不安というか、助手席に座っていれば右折左折をする度に、一緒になって安全確認をしたりしてしまうものだ。
 申し訳ないことをしたと思いつつも、チーム内で母と呼ばれる同僚の運転は、どこか懐かしい感覚がしたのを覚えている。

■11月
 「まともにコミュニケーションを取れる人」
 この意味を真に理解したのはつい最近のことだった。
 社員の平均年齢が低いせいなのか、ゲームという業界のせいなのかはわからないが、精神が未熟なままに社会人になってしまった人というのが非常に多い(私が精神的に成熟しているとは言わないが)。詳しく書くとそれだけで1万文字くらい行ってしまいそうなので割愛するが、自身を守るためにあの手この手で他者を攻撃する、そんな人がそれなりの数いるのだ。
 エンジニアの同僚と、定時後にダッシュ現場猫のガチャガチャを探しに行く裏では、キッズ対策委員会みたいなものが組織され、それに裏で参加するようになった。
 名古屋で開催されたGPに行っている間も、ずっとその対応をしていて、旅中の気持ちの3割くらいはこれに持ってかれていた。*8
 仮にも大人だけで構成されている組織で、こんな小学生の学級会みたいなやりとりがやられていることに驚いたが、思えば前職でも問題児というのは一定の割合でいたし、業界的な問題でもないのかもしれないなとも思う。

 こういう話が出る中、前述の仲良くしていた同期が退職してしまう。
 一番仲良くしていたし、チームの主力となる非キッズがいなくなってしまうのは一抹の寂しさがあったが、笑顔で送り出してやりたいと思い、彼の退職する日に手紙を書いた。指導にあたっていた先輩が真面目な手紙を読んだあと、僕が嘘で99%塗り固めた手紙を読んだのだが、これがこの1年で一番笑いを取れた瞬間だった。
 これ以降、ちょこちょこ手紙芸をすることになるのだが、また別の機会に。

■12月
 僕の指導にあたってくれていた先輩が他のチームに異動になってしまい、その穴を埋めるために僕が中核メンバーの一人になった。
 入社した時、ゲーム業界は入れ替わりが激しいから、1年もいればベテランだよ、などと言われ、半ば冗談だと思っていたがまさか本当にそうなるとは思わなかった。入社してしばらくは作業者としての仕事が多かったのだが、最近になってようやく、頭を使う仕事が増えてきて楽しくなってきた。
 正直給料の割には合わんなとは思うが、これをやるために様々なものを捨ててきたのだ、そう思わせてくれる仕事がようやく巡ってくるようになってきたのだ。
 しかし、これからやっていくぞ!という矢先、インフルエンザにかかってしまった。おかげで12連休となったわけだが、せっかくの休みなので、せっせと初めてのふるさと納税の手続きをしてみたり、7時間18分の映画を見に行ったりした。
 それでもなお時間があったので、人生のターニングポイントとなった1年について、こうしてブログを書くに至っている。

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 好きな漫画や映画を10タイトル挙げろと言われてどんな作品を思い浮かべるだろうか。
 その時々によって変動もするが、生涯塗り替えることのないだろうなというタイトルがいくつかある。そのうちの1つが「アタゴオル玉手箱」という漫画だ。

 僕の通っていた小学校の図書館には、記憶している限り漫画が2種類あった。今思えば不思議なラインナップだが、1つは手塚治虫火の鳥、もう1つがアタゴオル玉手箱だった。
 当時はジャンプで言うとワンピースが10巻ぐらいまで出ており、BLEACHが連載を開始した頃だったと思う。クラスの中心人物たちはこぞってそれらを読んでいたが、僕を含む数人の友達らは、アタゴオル玉手箱を繰り返し図書室から借りては、その世界観に没頭していた。
 

 アタゴオル玉手箱は、一言で言ってしまうと宮沢賢治の世界観を漫画にしたような話なのだが、その中でも僕は星街編が好きだ。

 どういう話か簡単に説明すると、普通の人は目にすることができない、星街の入り口を”釣る”ところから物語は始まる。登場人物らは年に一度、特殊な釣り針を店で購入し、星街の入り口へと導く光を釣るために、針を磨いたり、空気の流れが良い場所を探す。そこで釣り糸を垂らし、星街の入り口がかかるのを待つ。釣り針にかかった輝きを辿って空に登れば、星街にたどり着くのだが、必ず釣れるというものでもなく、今年こそは!というような類のものであるようだ。
 星街では、飲むと世界に一枚の切手が入った卵が産まれる流星コーヒーを飲むとか、星の光で焼いたパンを食べるとか、言葉ではおよそ説明ができない魅力的なエピソードがたくさん出てくるのだが、これは実際に漫画を読んでみてほしい。*9

アタゴオル玉手箱 (1) (偕成社ファンタジーコミックス)

アタゴオル玉手箱 (1) (偕成社ファンタジーコミックス)

 

  希望の転職をすることができ、東京に来た昨年の1月、僕はようやく星街に辿り着いたのだなと思った。
 しかし1年経った今、まだどこにも辿り着いてなどおらず、釣り針に輝きがかかっただけだったのだなと感じる。まだ目の前の道は一本道にしか見えず、遠くに見える街の全体像もおぼろげだ。今は星街で飲むコーヒーの味を夢想しながら、釣り針にかかった光を失わないよう、星街の入り口まで歩みを進めるしかない。

 2019年はよく孤独と闘ったと思う。

 給料は下がって常に金欠だし、後ろ支えもない。
武器となる確固たる技術があるわけでもない。戻るべき古巣もない。進んでいる道が正しいのか、安全なのかもわからない。お前の進む道は正しいのだと、後押ししてくれる人もいない。せめてこのうち一つでもあればと思うが、おそらくあと数年は、同じような闘いをするのだろうなという予感がある。冒頭にも書いた焦燥感や、こういった孤独感は30歳前後の人特有の悩みっぽいなぁとも思うので、いつか若い時はこんなに不安だったんだなと、笑い話になる日がくればいいと思うが、今はもうオールインするより他に手はない。星街に入る前なのか後なのかはわからないが、いつか落ちてしまうにせよ、今はとにかく釣り針にかかった輝きだけは逃さないようにしたいと思う。

 正面からも背後からも風は吹いているが、1年経った今でも、釣り針が錆びついてはいないことだけが幸いだ。 

 

 

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■編集後記

2020年初出勤は貫徹スタート。恐らく残業も確定している。

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*1:仕事の内容が自分のやりたいことと一致しているならそれが最善だとは思う。疑いなく信じられるなら、それ以上に幸せなことはない。

*2:誰がどこで何をしているのかももうよくわからない。関東にいるぞ!っていう人は是非ご連絡ください。

*3:メイド喫茶好き、というとめちゃくちゃ典型的なオタクをイメージされるかも知れないが、それとは全く異なる好青年だ。メイド喫茶に行く理由も常軌を逸していて、非常に魅力的な人間なので、また別の機会に

*4:僕はエンジニアではない。ゲーム制作は大きく分けると企画、エンジニア、デザイナーの3職種にわかれるが、僕は企画職である。

*5:アイスボーンの発売が控えていたので始めたのだが、結局アイスボーンは買ったものの全然プレイしなかった…

*6:ご存知、マジック・ザ・ギャザリングの年数回ある大きい大会

*7:つけ麺は決して不味くはないんだが、これ頼むくらいならラーメン頼めば良くない?という思いが僕の中で強い。つけ麺とラーメンの決定的な違いはそのUXだと思うが、味の濃い汁に麺を浸す体験の不必要さをとても感じてしまう。

*8:余談だが、GP名古屋といいつつ開催地は中部国際空港(名古屋から電車で一時間くらい離れた常滑にある)で、初めての利用だった。会場の周辺には本当に何もなく、二度とここで開催しないでくれという気持ちでいっぱいだが、2月にまた同じ場所で開催されてしまう。南無三。
肝心の大会の内容も奮わず、今では禁止されているカードがそこここで舞う凄惨な環境であった。唯一の救いは、空港内の銭湯が非常に良かったことくらいだ。

*9:星街編は1巻に掲載されているのですぐ読める。マジで読んで!

努力の夢枕

 社会人になってしまった。
 職場と家を往復する毎日に心をやられてしまうOL、みたいなキャラクターを見る度に「言うてでしょ」などと思っていたが、実際自分がそういう立場になってみると本当に厳しいものを感じる。体力的にはそれほどキツくないホワイトな職場だが、仲の良い同期もおらず(そもそも同期がほぼいない)、良い距離感を持った人と会話できない毎日が続くというのがこれほど辛いことだとは思わなかった。誰とも会わない日が4,5日続くとさすがにしんどいなと感じるが、そっちの方がまだマシだ。大学の時の、友達ではないただの同級生、みたいな距離感が本当に苦手だったが、「職場の人」の距離感というのはそれに次ぐしんどさがある。大学の「知り合い」の距離感よりかは遥かにマシだし、単純に自分のストライクゾーンがあまりにも狭いというだけの話なのだが。

 そんな乾ききった毎日で唯一の楽しみは昼休みである。
 僕の職場では朝注文すると昼休みに弁当を届けてくれるのだが、メニューの数が結構豊富で月替りな上に、毎食100円程度の団体割引がある。自分で弁当を作るのもなんだし、パンを食べたい気分の時以外は基本的にこれを、メニューの上から食べたことの無いものを潰すように食べている。この昼休みに食べる弁当、大体どの弁当を頼んでも僕が人より評価点を与えるであろう品が入っている。

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 右のは適当に拾ってきた画像だが、このシンプルな弁当にも同じ要素が含まれている。その要素とは、唐揚げの下に敷いてあるスパゲッティである。この建物を支える基礎のように唐揚げを支えるスパゲッティのことを、僕は弁当のイナバウアーと呼んでいる*1

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 イナバウアーとは2006年のトリノオリンピックにおいて、フィギュアスケート荒川静香選手が披露したことで話題になった技だ。上半身を大きく反らせる技で、得点には一切結びつかない、といったイメージが記憶に残っている人が多いと思うが、まさにこの「直接得点にはならない」といった点で上記のスパゲッティは弁当のイナバウアーなのである。

 僕はこのスパゲッティに対して人よりも点数を与える傾向にあると思っているので、もう少し共感度が高いと思われる例を出すと、松屋の味噌汁がそれに当たるのではないかと思う*2。寒い冬などは無料で暖かい汁物がついてくるので明らかな加点ポイントになり得るが、基本的にはそれほど美味しいわけでもないので加点要素としては扱わないように思う。あくまで僕は牛丼チェーンに入るときは、サッと食って出られればそれで良いのでそう思っているが、吉野家に行ってもすき家に行っても必ず味噌汁を頼むという人にとっては、明確に味噌汁代が浮いているのでそう思わないかも知れない。例えば並んでいる牛丼チェーンのどれかに入るぞという時に、あの味噌汁が店を選択する要因の1つとはならないが、出口調査のアンケートとかがあって店を評価しろと言われたときには、加点ポイントとする可能性がある、という話である。矛盾する話のように見えるが、ある側面では評価されないが、別の側面から見ると評価されることがある、ということがあるのだ。
 実際は、イナバウアーが全く得点にならないわけではないように*3、店側から考えて見ると、少しでも弁当や配膳の見た目をよくしようとか、マクロで見たときに売上が上がるということなのかも知れないが、とにかく僕はこういうやり方というか、客からしてみれば気遣いやもてなしといったものに弱い。

 

 さて、少し話が変わるが、少し前に彼女がCookDoを使ってご飯をつくる話がTwitterで話題になった。

blogos.com

 「彼女が飯にCOOKDOとか使ってるとムカつく」と言っているのを聞き、味の違いが分かるのか聞いたら、曖昧な反応だった。そこで、「『お前が食いたいのはメシか?それとも彼女の苦労か?時間か?』と小一時間説教食らわせた」という投稿が大元らしい。当時どういう論調が主流だったのかはあまり記憶がないのだが、僕はCookDoの可否について話したいわけではなく、苦労を食いたい時、あるよね?という話がしたいのである。苦労を食いたいというと語弊があるが、ご飯をつくってくれるという場面で言うなら、料理そのものの味や見栄えよりも、つくってくれたという事実の評価点のほうが全体で占める割合が大きいよ、ということだ。「スピンとかジャンプ一個一個の技のレベルは低かったけど、途中イナバウアー挟んでたよね。あれは良かった。」スケートで言うならこういうことだ。さっきの男が毎日食事をつくって貰っていて、自分で料理もできない、それでもCookDo使うなと言ってるならなんやこいつで終わる話だが、初めて作ってくれるご飯でCookDoを使っていたら、減点してしまうという気持ちは十分理解できる。味は不味いが一からつくった麻婆豆腐 > 味は美味いがCookDoで作った麻婆豆腐という図式が僕の中で成り立つのは、創意工夫やチャレンジ精神といった項目への評価点が高いからだ。

 先ほど少し述べたが、人が自分にしてくれたことへの評価というのは、2つの側面があるように思う。1つは「つくる側」、もう1つはそれを「受ける側」としての評価だ。
 お笑いのコンテストに例えると、M-1グランプリは「つくる側」、オンエアバトルは「受ける側」の評価がそれぞれ優位であると言えるだろう。M-1グランプリは予選を勝ち抜いた9組のグループを8人の審査員が評価する。予選こそ観客の投票だが、優勝を決める数名の審査員は全てお笑い芸人である。ネタが終わった後に審査員がそれを講評する時間があるのだが、純粋な面白さ以外にも漫才としての構成などを評価する場面を見たことがあるかも知れない。これは「つくる側」としての巧みさを評価しているのである。一方オンエアバトルは会場にいる100名の観客が、ネタを見た後に手持ちのボール(票)を入れるか入れないかを決め、その得票数が多い上位5組をテレビでオンエアするというものである。よほどお笑いに詳しい人でも無い限り、票を入れるか入れないかは、純粋に面白いと感じたかそうでないか、「受ける側」として判断するはずである。「あそこでツッコミを入れるのはセオリー的には誤りですが、今回のネタに関しては全体のテンポが良くするために敢えてツッコミを入れており、そこから会場の盛り上がりに繋がっていたので非常に巧いと思いましたね」なんて評価する素人はまずいないだろう。
 自分が何かを評価する時そう考えるので「つくる側」「受ける側」としたが、「論理的」⇔「感情的」、「減点式」⇔「加点式」、「相対的」⇔「絶対的」と言い換えてもいいかも知れない。

 

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 つまるところ何が言いたかったかと言うと、人によって、場合によって、評価の構造や割合に違いってあるよね、という話だ。僕はつくる側として物事を評価することが多いので、唐揚げ下のスパゲッティについても、わざわざこのために茹でて味付けして下に敷いてるんだなぁと思うので、味や食感はどうであれ+3点!となってしまうし、見栄えも味も100点のびっくりドンキーのハンバーグを奢ってもらうよりも、ぐちゃぐちゃで味も微妙なハンバーグを一生懸命つくってもらったほうが何百倍も嬉しいと感じる。

 

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 これだけ考えても的確に言葉にできたという感触が無いが、結果よりも過程というか、自分では代用できないかけがえの無さというか、費用対効果の見合わなさというか、そんな無形の何かに強く惹かれてしまうのということなのかも知れない。

 

 

 

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■編集後記
原チャで行ける場所なら平日夜でも遊びに行くので、近隣の人は遊びに誘ってくれ…
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*1:記事タイトルこれにしようかなと思ったくらい気に入っているワードだ。

*2:松屋で注文をすると、基本的に味噌汁が1杯ついてくる。牛丼食べた後にもう一回牛丼食べても、しっかり追加の味噌汁がついてくる。

*3:詳しくは自分で調べて貰うといいが、フィギュアスケートには技術点と構成点という点数があり、ジャンプやスピンは技術点、演技全体の評価が構成点である。イナバウアーは構成点の中の項目の1つであり、直接これをしたから何点、というのが定められているわけではなく、演技全体の点数を上げるためにやっているという点では、全く点数にならない技というわけではないようだ。

岩屋の揺蕩

 先日25歳になった。ちょうど四半世紀生きたことになるが、この半年ほど自分自身と向き合った時期はなかったように思う。自分自身というか自分の将来というか、現実を見なければならないというのは辛いもので、書きたいことはあったのに半年以上ブログ更新できなかったのもそれが原因だ。

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 自分自身と向き合うというエモーショナルなことをさせられたのは、就活とかいう人生最大のクソイベントのせいだ。このブログでは可能な限り丁寧な言葉でフォーマルな文章を書くように心掛けているのだが、「酷い」とか「劣悪な」とか、そういった言葉では形容できない、紛れもない「クソ」イベントだった。

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 しかし日本の就活のクソ具合というのは、あらゆる場所で言われていることなので、今回は就活のシステムの話ではなく、僕が何を考えて、何が辛かったのかに焦点を当てて書こうと思う。これから就活をする人の目に留まるかもわからないし、僕ほど気を病む人も多くないだろうとは思うが、僕と似たような属性を持った人の一助となればと思う。ドアのノックは2回ではなく3回だとか、グループディスカッションでは司会をやれとか、ゴミ溜めに無尽蔵に積んであるような情報はその手の人に聞いてくれればいい。

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 何故僕が就活で辛かったのか、結論から言ってしまうと僕の性格が大きな問題であった。完璧主義で物事への取り組みが遅く、まともな実績もないのに妙に高いプライドだけはあり、バランス感覚が無く、優柔不断で移り気、ネットの情報を上手く手繰っているようで実際は操られている。書き出してみると2ちゃんねらーの権化という感じだ。人間の短所の多くは長所に言い換えることができる、といのは"ゴミ溜め"でよく見る文言だが、こと日本の就活において上記の短所がプラスに働くことは無いだろう。就活はまだここにない出会いを求めるものではない。ただただ社会不適合者を排除する仕組みそのものだ。民族性の結晶とも呼ぶべき、この芸術的なまでの仕組みが、"kamikaze"や"karoshi"のように"syukatsu"として世界共通語になる日が来るかもしれない。

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 では僕はどうすれば良かったのか。一言で言うならば「妥協」であったと思う。僕はこれまでの人生で積極的にやりたいことをやってきたように思っていたが、実際はやりたくないことを避けてきたことの方が多かったと気付いた。こういう生き方をしていると基本的に我慢したり妥協をしなくて済む。そういう時もある、そういうこともある、というように折り合いをつけるための社会性が欠落していく。近年話題のブラック企業はともかくとして、どんな会社に入ってもやりたくない仕事はきっとあるものだし、欠点だってあるものだ。そういった要素に、僕は目をつぶることができなかったのだ。

f:id:hayner:20161202032940j:plain 一般的に1対1のカードゲームでは相手の手札を見ることはできない。知識の少ない初心者は相手の手札をあまり考慮しないが、中級者くらいになると相手の手札にあれがあるかも知れないこれがあるかも知れない、と無駄に裏を読んでゲームに負ける時がある。確実にそこにあるメリットよりも不確実なデメリットが大きく見えてしまうのだ。潤沢に手札があり、無数に選択肢があったのにも関わらず、相手の手札を恐れてカードを切れず、かくして僕は"ゲーム"に敗北した。妥協ができないと総合的な判断力を失う。部分的な敗北を認めて盤面全体を俯瞰する、そういう視点をこの半年の間完全に失っていた。

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 井伏鱒二の『山椒魚』という短編を読んだことがあるだろうか。頭が大きくなってしまって、棲み家にしていた岩屋で寝ているうちにそこから出られなくなってしまった山椒魚の心情を描いたものだ。岩屋から出られない山椒魚は、岩屋の外を自由に泳ぐ小エビや蛙に2ちゃんねらーよろしく毒を吐いたりする。そんな中、偶然岩屋に飛び込んできた蛙を山椒魚は幽閉して――というお話。

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 とても短い話なので、後半は是非読んでみて欲しいのだが、就活を終えて精神が落ち着いてきた頃、自分はこの山椒魚のようだと感じた。"頭"が大きくなって打つ手が無くなってしまった僕は、この山椒魚と同じように「寒いほど独りぼっち」だった。

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 長々と書いているが、僕の経験から得て欲しい教訓としては、就活に限れば積極的な理由を持って挑んで欲しいということだ。どんなものでもいいので、積極的な理由を1つ、譲れないものを1つだけ決めておくことだ。複数あると最初積極的だったはずが、いつの間にか消極的な就活になってしまう。ゲームには負けてしまうかも知れないが、手札を使わずに負けるよりは遥かにマシだろう。迷った時に切る手札の指針と言ってもいいだろう。

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 僕は岩屋の中で就活を終えてしまったが、今はまだ外に出るのを諦めたわけではない。頭を小さくする方法があるのかも知れないし、実は別の出口があるのかも知れない。諦めなければいつか岩屋から出られる日が来るかも知れない。そう考えられるようになったのがつい最近で、夏の終わりと比べて悲観の度合いは随分小さくなったように思う。

 

 しかし岩屋からの脱出方法を考えている一方で、本心では蛙が岩屋に飛び込んでくるのを待っているのかも知れない。

 

 

 

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■編集後記
夜行バスには気をつけよう!
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私心の欠落

 「○○な人が××すべきn個の理由」
 こんなタイトルの書籍や記事を、誰しも一度は目にしたことがあると思う。
 僕はこの手の記事が嫌いだ。何故かと言うと、n個といいつつ結局内容が重複していて、一言二言で済むような内容を間延びさせているものがほとんどだからだ。

あなたが出来るだけ若いうちに旅するべきだと思う12の理由 | タビフレ!
http://student.his-j.com/travel/tabippo/2898.html

 例として挙げたこの記事では12と言いつつ、肝心なものは3つで、

  1. 旅が個人の価値観に与える影響
  2. 時間と耐力の制約
  3. そもそもの旅行が楽しさ

 とこんなものだろう。後は一般教養科目のレポートのように、余計な文章を足してページ数を稼げば良い。

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 前置きが長くなってしまったが、僕がn個の理由記事が嫌いだというのは前置きで、今回話したいのは旅行の話だ。というのも僕の研究室の、卒業する学生はひとり残らず海外に行っている。この事実を知った時、僕はテーブルがペトペトしている店でイワシと野菜のカレーを見た時のゴローのような顔をしていたに違いない*1

 「大学生が何かと理由をつけて行く旅行批判」が今回のテーマだ。テーマだ、とは言ったものの別に深い話があるわけではない。前述した「価値観を変える」だの「社会人になったら時間がないから」だの、どこかから取って持ってきたような理由をつける輩が気に入らないという話だ。

 まず「社会人になったら時間がないから」という理由。

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 これは一番使う人が多いし、実際僕も0.1理くらいはあるかなと思う。しかしこれを言うのは社会に一度も出たことがない奴がほとんどだ。社会に出てから大学に戻って、また社会に戻るぞという人が言っているわけではない。恐らくそういう人から直接聞いたわけでもないだろう。なのになぜ統合思念と化したグランマ*2かのように皆同じ理由を口にするのか。結局は何となく知っていて、実際回りもそう言っているからそうだと思っているだけなのではないだろうか。確かに社会人になって仕事が忙しくて旅行どころではない人も多いだろう。しかし社会人になったって時間をつくって海外旅行をしている人だって同じようにいるだろう。自分は時間をつくれないだろうと守りに入った奴が「価値観を変える」だのなんだの言っているんだから滑稽である。

 「価値観を変える」というのもほぼ同じような理由だろう。本当に価値観を変えようとして旅行に行く奴が全体の何%いるのだろうか。ほとんどがもっともらしい理由として述べているに過ぎないのではないか。

 それに旅行に行ってきた奴が「価値観変わるよ!」なんて言うのも甚だお節介である。ガンジス川で沐浴をする前と後で具体的に何が変わった?異文化に触れて人にやさしくできるようになったか?チャレンジ精神が刺激されて起業でもする気が起きたか?
恐らく何も変わってはいないだろう、インドから帰れば今までどおりのそいつが今までどおりの日常を送るだろう。ウユニ塩湖の圧巻の景色を見なくても一本の映画で、一冊の本で、友人の些細な一言で、大きく価値観が変わることだってあるだろう。海外旅行をしなければ価値観を変えられない人間が海外旅行をして変える価値観など、たかが知れているのではないだろうか。

 こんなことを書いているとメタルギアソリッド2の終盤、大佐の説教*3を思い出した*4

雷電「次の世代に伝えるものは自f:id:hayner:20160320213137p:plain分で決める!」
大佐「それは君自身の言葉か?」
ローズ「スネークさんが言ったことじゃないの?」
雷電「……。」

 アイデンティティを確立できていない雷電がスネークの言葉を自分の意見かのように使い、それを大佐とローズマリーに咎められるシーンだ。何となーく卒業旅行で海外に行ってるやつはこの雷電と全く同じだ。「ぬるま湯の中で適当に甘やかしあいながら、好みの「真実」を垂れ流」*5しているのだ。

 散々言ったが、卒業旅行や海外旅行を否定しているわけではない。みんなが行くから、みんなと同じ理由で何となく行くというのが気に入らないのだ。趣味とまで行かなくてもいい、旅行が好きだから、○○が見たいから、それだけでいい。そこに「社会人になったら時間がない」とか「価値観が変わる」とかいうことは関係ないはずである。欲を言えば、僕の友人・知人なら何かウィットに富んだ理由をつけて欲しいものだ。

 こんな文章を書いておいて何だが、僕だって来年になったら卒業旅行に行くかも知れない。しかし海外には行かないんじゃないかなぁと思う。その理由は

 まず、旅行で得る感動より大きい感動を得る方法を僕は知っているということ。
 次に、一年後もきっと、今と同様にお金が無いだろうということ。
 最後に、そもそも僕は旅行があまり好きではないということ。

 これが「僕が卒業旅行で海外に行かないであろう3つの理由」だ。

 

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■編集後記

これから何度孤独のグルメを引用するかな

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*1:毎度おなじみ孤独のグルメ。苦手意識を感じつつも入ったヒッピーがやっているような自然食レストラン。隣の客が頼んだイワシと野菜のカレーや、注文したおまかせ定食にも初見では抵抗を示すが、味噌汁やほうれん草の素朴な美味しさに感動するゴロー。しかし量が少なかったため、追加でイワシと野菜のカレーを大盛りでオーダーする。

*2:ひたすらマウスをクリックすることでクッキーを焼き続けるクッキークリッカーというゲームに登場するおばあさん。クリックせずとも毎秒1枚のペースでクッキーを増やしてくれる。ゲームを進めるうちにたくさんグランマを雇うことになり、果ては全てのグランマが統合思念と化して尋常ではない速度でクッキーを焼き続ける

*3:MGS2コナミから発売されているステルスゲームメタルギアソリッド」シリーズの2作目。MGSシリーズは遺伝子操作や反戦反核などの社会性の高いテーマを取り入れているのが特徴的で、それらに翻弄される主人公を操作する形でゲームが進行する。MGS2では雷電という特殊部隊の兵士が主人公で、上司である大佐や恋人のローズなどとの無線を通じてストーリーが進むシーンがいくつかあるのだが…

*4:というか途中意識して書いた

*5:大佐の説教めちゃ好き

MGS2 大佐の説教 - YouTube

教育の対価

 駅のプラットホームから線路に降りようとしている小学生がいる。

 それを見つけた時、黙って見届けるだろうか。それとも危険だと注意するだろうか。

 

r25.yahoo.co.jp

 これは半年ほど前の記事だが、子どもの危険行為を見かけた時、およそ6割の人が注意をしないという。理由はお察しの通り、変な親に絡まれたらどうしようとかそういうものが多い。子供に道を尋ねただけで事案になるご時世だし当然といえば当然だ。

 冒頭の線路に降りようとする小学生というのは例えばの話ではなく、僕の実体験だ。小学生の時からJRで通学していた僕は、どうしても線路に降りてみたかった。しかし線路に降りることは何となく悪いことだとは感じていた僕は、制服の帽子をわざと線路に投げ入れ、落ちちゃったから仕方なく取りに行く体を取り繕って線路に降りた。確か友人も1人一緒で、2人で一緒に降りたように思う。今思えば何が楽しかったのかわからないが、僕らは帽子を投げ入れては線路に拾いに行くという行為を駅員の人に注意されるまで、何度か繰り返していた。回りの大人には一切注意されなかった。これは低学年の時だったから、少なく見積もっても15年以上前の話になる。先ほどの記事は去年のものなので、モンスターペアレントがどうこうと言った話もあって、比較的近年の傾向かのように感じられるが、このような傾向は最近に始まったことではないのかも知れない。ことなかれ主義というか、日本人の気質なのかも知れない。

 なんでこんな話をしているかと言うと、先々週の日曜、有馬温泉に行った時のことだ。脱衣場で小さい男の子(以降「少年」)が、濡れたタオルを絞りながら歩いていた。結構な量の水が滴っていたので、マジかよと思いつつもまぁ子供のすることだしなと思って見ていたが次の瞬間、眼鏡をかけたおじさん(以降「眼鏡親父」)が大きな声で「そんなんしたらあかんやんか!拭かんかい!」と怒鳴ったのである。その時はきちんと叱れる良いお父さんだと思ったが、お察しの通りこのおじさんは父親ではない。そして少年はというと、その眼鏡親父に一瞥くれるだけでスタスタとどっかに行ってしまった。ここで親が出てきて謝罪するパターンのやつだなと思うが先か、「待たんかい!自分で拭けや!」とさらに追い打ちをかける眼鏡親父。少年は断固無視。その後も何かを言っていたが具体的にどんなことを言っていたかは忘れてしまった。注意というか、少年の親に対して悪態をついていたような気もする。これは親出てきづらいだろうな、どうなるんだろうとその場にいた客みんなが思っていたに違いない。すると別の比較的若いおじさん(お兄さんという感じに近かったかも知れない)が、黙って少年が零した水を拭きに来たのだ。よしよく来たな、せっかく風呂でいい気分になったことだろうし、一言謝って和解してくれよなと思って見ていたが、その少年の父親は眼鏡親父に謝罪はおろか、会釈1つせず黙って去ってしまった。眼鏡親父はその後もしばらく悪態をついていたが、ここまで見届けて僕は脱衣場を出て温泉に向かった。

 この事件、うまく文章で伝えられているかわからないが、僕は思うところが2点あった。まずは最初に述べた、他人の子供に注意する親についてである。僕は面倒事、旅行中ならなおさら御免なので絶対注意したりはしないが(よほど危険があるとかなら別だが)、他人の子供を注意できるのは非常に立派だと思う。今回の眼鏡親父はその子思ってとか回りの人を代弁してとか、そういう高尚な気持ちから注意したわけではないと思うが、それでも行為自体は僕は評価していいものなんじゃないかと思う。
 しかし問題はその程度というか、方法である。僕を含め、回りの客の多くは叫ぶ中年男性を見て気分を害したことだろう。孤独のグルメのアームロック回の五郎*1も、きっとこんな気持ちになったに違いない。今回は客が客に対して怒鳴っていたので状況は少し異なるが、眼鏡親父にももう少しやり方があっただろうし、眼鏡親父にも子供がいたように見えたが、その子供の複雑な心境を思えばなおさらである。

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 そしてもう1点は水をこぼした子供の親である。眼鏡の親父に対して終始無言なこともそうだし、改めて自分の子供に注意するでもない。子供が子供なら親も親かと思わずにはいられなかったし、なんならあの子供の行く末が心配だ。こう思うとチャラチャラした親だったような気すらしてくる。

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 しかし僕が一番言いたいことは、他人の子供を叱れるのは良いことだとか、誰がどうするべきであったということではない。僕が行った温泉は太閤の湯という入館料が一人あたり2600円もする温泉で、入浴中ずっともやもやとした気持ちであったということだ。温泉に入るときはね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか、救われてなきゃダメなんだ。あの日の入浴中、僕は救われていなかった。

 

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 子供が水をこぼそうが、誰かがそれを注意しようがしなかろうがそんなことはどうでもいい。ただ僕の気分を害したあの大声で吠えた眼鏡親父と、そいつに一言謝罪すらできない若親父だけは断固許すことができない。この冬一番の寒波で床が凍ってるとかで露天風呂も入れなかったし、僕の豊かであったはずの時間を返してほしい。なんなら慰謝料を請求したいくらいである。学生が払う2600円と社会人が払う2600円には天と地ほどの隔たりがあるのだ。

 まぁ1000円引きで入ったから1600円だったんだけど。

 

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■編集後記

正直近所のスーパー銭湯で十分だったよ。

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*1:孤独のグルメは原作:久住昌之、作画:谷口ジローによるグルメ漫画。第12話「東京都板橋区大山町のハンバーグ・ランチ」において、大山町の定食屋で、店のお勧めメニューである大山ハンバーグランチを注文するのだが、店主が海外留学生の店員に罵声を浴びせるなどの雰囲気の悪さにより、不快感を抱いた五郎は空腹であるにも関わらず食欲が失せてしまう。 その後、五郎は店主に苦言を呈すが、店主はあろうことか逆ギレし、客である五郎を店から追い出そうと暴力を振るう。五郎の堪忍袋の緒が切れた。 育ての親であった古武道家の祖父により、高校まで古武術を叩き込まれていた五郎の腕っ節は強く、逆に店主はアームロックをかけられて悲鳴を上げる羽目になってしまう。 だが、罵声を浴びせられていた店員に「それ以上いけない」と止められ、五郎は完食する事なく店を後にするのだった。

精神の追行

 人はいつ「大人」になるのだろうか。
 もちろん制度的な話ではなく、個々人がなんとなく持っている、これができるようになったら大人だよ、と言う基準や諸条件のことである。こういうことを考えるようになる前、少年だった僕の中の「大人」とは「親」のことであった。結婚をして、子供を持つことが大人になるということだと思っていたのだ。しかし世の中には子供のままに親になってしまった人がいるなと思った時があり、これは違うのだと感じた。
 それで今「大人」についてどう考えているかというと、まず大人というのは0か1のデジタルのようなものではなく、アナログなものということだ。あの人は大人、この人は子供というような絶対的なものではなく、この人に比べてあの人は大人だ、というような相対的なものなのではないかと思っている。そう考えると少年の僕が考えていた親=大人という図式も、子供からしてみれば親は間違いなく大人なのだから、あながち間違いではなかったのかも知れない。そしてその程度を測る指標も、それ1つではないが大きいものとして、様々なものに対する「許容の程度」が挙げられるのではないかと考えている。「妥協の上手さ」と言い換えてもいいかも知れない。

 そもそもなんでこんなことを今更、修士2年になろうかという僕が考えているのかというと、いつまでも自分は大人になりきれない、子供だなと感じることが少なくないからだ。そしてそう感じる瞬間というのは、大抵何かを"受け入れられなかった"時で、その裏を返せば受け入れる懐の大きさが大人の程度を示すものなのではないかということだ。そしてこの許容には、大きく分けて2つ、自分に対する許容と他人に対する許容があるように思う。

 自分に対する許容というのは言ってみれば承認欲求のようなもので、心理学の用語では「自己受容」*1と言われたりする。地位や肩書のない子供(若者)が誰かに認められたいと思うのはいかにも子供という感じだ。しかし僕は自分が世界の中心だと思っているタイプの人間なので、自分を受け入れられないということはほとんど無いように思う。この傲慢さが子供っぽくもあるし、ごく稀に無能感に襲われることが無くもないが。いずれにせよ僕が受け入れられないのはどちらかと言えば自分よりも他人だ。

 なぜ僕にできることができないのか。僕の考えていることを理解してくれないのか。
もっと言えばなぜ僕に無償の愛を提供してくれないのか、これは完全に僕のエゴであって、自分が間違っていることは百も承知だが、心には何故か苛立ちやわだかまりが残ってしまう。

 まぁこんな風に思ったり考えたりしていられるのも若さだし大学生の特権だなと思わなくもない。「四十にして惑わず」*2という言葉があるが、孔子でさえ40までは惑うことがあったのだ。

 しかし現代では四十にして惑う人が少なくないらしい。「ミドルエイジクライシス(Midlife Crisis)」といい、職場では中間管理職になって上司と部下の板挟みになった中高年男性が、自分の子供の将来や両親の介護に対する不安、さらには自分の老後に対する不安から、うつ病や不安症になることを言うようだ。現実逃避から不倫に走ってしまうケースも多いとか*3

 「四十にして惑わず」は孔子が自分の人生を振り返って言ったものだとされているので、これ通りの人生を歩める人は昔の中国でも、現代の日本でも少ないのではないかなと思う。一生惑ったまま死んでいく人も少なくないのかも知れない。ひょっとしたら立つことすらままならない人だっているのかも知れない。今僕は24歳だが、理性では理解できているのに感情が、精神がそれに追いついてきていないように感じる。あと15年もすれば、今のように惑うことは無くなるのだろうか。

 

 今週は3日ほど寝込んでいたのが、熱に浮かされたような頭で考えていたのは、おおよそこんなことである。何度推敲しても、本当に高校生みたいな、倫理の授業みたいなこと考えてるなという感じの文章だが、考えてしまったものは考えてしまったのだから仕方がない。

 

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■編集後記

前回とタイトル揃えてみたけど考えるのしんどい

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*1:Veritas 心理教育相談室

http://homepage3.nifty.com/interlink/news-10.html

*2:

春秋時代の中国の思想家である孔子の『論語』にある有名な一節。
「子曰く、
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順う。
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」

これは「十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった」という意味である。

*3:ありがとう文春

最初の一手

 僕は日記をつけていた。
 大学に入ったのが2011年で、その11月から2014年の終わりまでだからおよそ3年間続いていたことになる。もとはと言えば、僕の人生における最深の闇である浪人時代と比較して目新しいことや嬉しいこと、楽しいことが多かったから、これを記録しておこうと始めたものであったが、段々惰性の記録になっていってしまい、その日にあったことやそれに対してどう感じたかを記録するだけになってしまったので、意味を感じられなくなってので止めてしまったのだ。
 日記を書くことの意味については色々なことが言われているが、僕は未来の自分がそれを見返すことで得られるものが一番のメリットだと考えている。だからその日あったこととその感想の記録はそれだけで十分意味があるのだが、なんとなく意義が薄いように感じてしまったのだ。しかし日記をやめて1年経った今、やはり日記に類する記録の意義は大きいんじゃないかと思い始めた。が、一度完全性を失ってしまうともうどうでも良くなってしまう性格なので、一度途切れてしまった日記を再開したくはない。そこで大泉エッセイ*1を読んでいたこともあり、週に1度くらいのペースでエッセイでも書いてみようかと思い立ったのである。

 大泉エッセイは大泉洋が大学在学中から持っていた雑誌連載等の原稿をまとめたもので、数カ月前に文庫本になった。文庫本のほうでは数年後の大泉洋が一言コメントを追記しているのが非常に良く、この時期は祖父が亡くなった時期だったとか、水曜どうでしょうで名前が売れ始めた頃だったとか、当時の稚拙な文章(大泉洋自信も認めているし、実際今の僕が見ても稚拙だ)を恥ずかしいと思いながらも楽しんで振り返っているように見える。買うなら文庫本がおすすめだ。

 自分が毎日書いていた数行の日記でしたかったことはまさにこういうことで、その日その日である必要は全く無かったのだ。その時期はどういう時期で、どういう考え方をしていたのか、それが将来振り返られればいいのである。大泉洋のように、当時は若かったと笑うかも知れないし、将来の自分では考えられないような新鮮な考え方を今の自分はしているのかも知れない。

 この手の文章を書くのは、未来の自分の楽しみが一番の目的だが、副次的な狙いとして多少なりとも他の人に読んで欲しいというのがある。僕は友人や先輩後輩の書いた文章が好きで、それは文章は数ある表現手法の中でも作者の人となりがよく透ける手法であると思うからである(知人の表現物が好きなのは文章に限った話ではないが)。だから僕の書いた文章から僕がどんな人物なのかを知ってほしいというのと共に、これを見て自分も文章を書いてみようかなと思う人が1人でもいてくれればと思うのである。きっとこの文章を読んでくれた人は、多かれ少なかれ僕に興味があったのだろうし、読んでくれた人のことを僕も知りたいと思う。文章は誰しもが触れてきたはずで、絵とかに比べて書いた文章を公開するという行為の敷居はかなり低いはずだ。

 と、ブログ開設の理由はここまでで、年が明けてもう2週間になるが、今年の抱負をようやく決めたので忘れないうちに書いておこうと思う。

 今年の抱負は「素早く最初の一手を打つ」。人間「やり始めるとやる気が出る」ということがあり、しばしば「作業興奮」という言葉で説明される。あきまん先生*2のツイートで見たことがある人がいるかも知れない*3

 この「作業興奮」という単語の出自は非常に怪しいのだが*4、実体験として一旦手を動かすといつの間にかその作業に没頭していたということは多い。死ぬほどやりたくないレポートでも、タイトルや最初の一行を書いたらその後は案外すんなり書き進められた、ということは誰にでもあるのではないだろうか。

 昨年卒業論文を書いている時、指導教員に考えこんで手を動かさない癖を再三注意された。僕はExcelで図表を作る作業が大嫌いで、作業に取り掛かる前になんとか作業量を減らす方法は無いのか、どうするのが最善なのかをいつまでも考えていた。しかし考えたところでやる作業量なんて変わりはしないし、やってみればどうということは無い作業なのである。当時その先生に貰った付箋を今でも卓上に保存しているが、この悪癖はなかなか改善されない。

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 最初の一手を長考することでその後の展望が劇的に変わるケースも無くはないが、世の中とりあえず一手目を打ったほうが良いことのほうが遥かに多いように思う。だから今年は最初の一手を打つまでの時間をできるだけ短くし、仕事でも遊びでも何でもいい、とにかく何かに没頭している時間を少しでも長くできればと思う。

 

*1:作者の大泉洋は演劇ユニットTEAM NACSに所属する俳優。北海道のローカル番組「水曜どうでしょう」への出演で知名度が高まっていった。僕は水曜どうでしょうが好き。

*2:本名安田朗ゲームクリエイターイラストレーター、キャラクターデザイナー、漫画家。ストリートファイターのキャラクターデザインなどが有名。

*3:あきまん先生のtwitter

https://twitter.com/akiman7/status/506822740926423040

*4:勉強の集中力が10倍アップする秘訣

http://shuchuryoku.jp/?p=8103